ども、人生にゆとりと幸福を創るFPゆとらです。
どうも誤解されてると思うんだよね?
何がって「ザ・ビーチ・ボーイズ(The Beach Boys)」の音楽についてです。
「ザ・ビートルズ(The Beatles)」と同時代(1960年代)に活躍した、アメリカが生んだ偉大なるロックバンド「ザ・ビーチボーイズ」のことです!!!
良質な楽曲、唯一無二の美しいコーラクワークに加えて、ビートルズとのライバル関係、中心メンバーであるブライアン・ウィルソンの精神崩壊そして復活・隠遁の繰り返し、幻のアルバム伝説、メンバー間の確執などなど。
現在もメンバーが活動中など世界の音楽シーンでは、ビートルズ同様いまだに動向や残された音源に世界中が興味津々なレジェンドグループが「ザ・ビーチボーイズ」なのであーる。
だけど日本においてはまだ、ビーチボーイズの音楽を懐かしいサーフィンミュージックだと誤解している人がどうも多いらしい。
もちろん知ってる人は知っているけど、まだまだメジャーに知られていないというか。
ビーチボーイズを聴かないなんて…バカなの?(というぐらい勿体ない。)
とても一つの記事で書ききれるものではないですが、どうしても知ってほしいという気持ちから、ザ・ビーチボーイズの魅力について伝えていきます。
ザ・ビーチ・ボーイズ(The Beach Boys)とは?
「The Beach Boys(ザ・ビーチ・ボーイズ)」は、ブライアン・ウィルソン、デニス・ウィルソン、カール・ウィルソンのウィルソン3兄弟と従兄のマイク・ラヴ、近所のアル・ジャーディンがコアメンバーとなって結成された、ロックとコーラスワークが魅力のアメリカを代表するバンド。
ディヴィッド・マークス、ブルース・ジョンストンといったメンバーも黄金期を支えたコアメンバーと言っていい。
その他、メンバーの変遷や死去もあるが、上記メンバーが主要メンバーとなります。
ビーチボーイズ関連のメンバーや楽曲を追っていくと現在の音楽シーンにも多々影響を与えていることがよくわかります。
それぐらい影響力のある伝説的なバンドなのに・・・日本では意外とコアなミュージックファンにしか知られていないという。
ビーチボーイズは、デビュー曲はまんまビーチボーイな「サーフィン(Surfin’)」、以降「Surfin U.S.A」「Surfer Girl」「Fun,Fun,Fun」など立て続けにヒットを飛ばし、本国アメリカでの人気を決定づけました。
ちなみにザ・ビーチボーイズは1960年代のアメリカミュージックシーンを牽引したレジェンドで、現在も解散はしていません。
ところで、チャック・ベリーのロックンロール「Sweet Little Sixteen」に華麗なハーモニーワークを重ねて誕生した「サーフィンU.S.A」が、日本人がビーチボーイズに抱くイメージのようです。
バンド名とこの曲がビーチボーイズのイメージを決定づけてしまったために、後追い世代としては、単なるノー天気なサーフミュージックをやっているバンドのように感じてしまったり、つい「オールディーズ」というくくりに入れこんでしまいがちです。
が、ちょっと待たんかい!
ザ・ビーチボーイズの作り出す音楽は決して「サーフミュージック」だけじゃないんです。
「オールディーズ」というくくりにしてしまうのは、勿体なさすぎのスゴイスゴイ楽曲多数なのです。
60年代、サーフミュージックの後には「ホットロッド」と呼ばれる車を題材にした楽曲が流行しました。
そのミュージックシーンでもビーチボーイズが牽引役として活躍。単に明るく時代にあった音楽、というだけでは収まらない質の高さがあったのです。
サーフィン、ホットロッド路線で現代ミュージックシーンにまで音楽が残り続けているのは、実質ビーチボーイズのみ、と言われているほどなんです!
ザ・ビーチボーイズはすでにレジェンドです。
ブライアン・ウィルソンとザ・ビーチボーイズ
ザ・ビーチボーイズが、他のグループとは一線を画す洗練された楽曲・コーラスワーク・ハーモニーを生み出す中心人物となっているのが、ブライアン・ウィルソンです。
初期ビーチボーイズで、とりわけ魅力的なのが、若きブライアンの透き通るようなファルセットボイス。
美しいハーモニーの中でも際立って透明感があり、とりこになって僕はビーチボーイズ沼にはまってしまいました。
ブライアン・ウィルソンはビーチボーイズ初期の頃から、作曲・アレンジ・プロデュースまで一人でこなした天才音楽家。
ビートルズのジョン・レノン、ポール・マッカートニー、そしてプロデューサーのジョージ・マーティンの役割をたった一人でこなした、とまで言われます。
凄すぎるっしょ!!
ブライアン・ウィルソンが希代のメロディメーカー・ミュージシャンであることは、一流ミュージシャンがこぞってブライアンを敬愛していることからもわかる。
ポール・マッカートニーはたびたび同年代のブライアンに敬意を表す発言をしているし、ジョージ・マーティンも彼にリスペクトを表しています。
日本では山下達郎氏がザ・ビーチボーイズの魅力を詳細に紹介してくれたおかげもあって、広く認知されることとなりました。
またポールやジョージ(マーティン)は、ブライアンと楽曲やドキュメンタリーなどで共演しているし、山下達郎はじめ様々なミュージシャンが楽曲をカバーしています。
ミュージシャンからも一目置かれるレジェンドが「ザ・ビーチボーイズ」であり「ブライアン・ウィルソン」なんです。
よって、ザ・ビートルズを後追いで知ったあなたが、
次に聴くべきは「ザ・ビーチボーイズ」である!!
更に言うと
「ビートルズが偉大すぎて、他に聴くものがないなぁ」
なんて思っている方にこそ、ザ・ビーチボーイズを聴いてほしいです。
僕も初めて聴いたとき正直ぶっ飛びましたよ。
なんせ舐めてたのにビートルズと同じぐらいハマってしまったからです。
ただ…ザ・ビートルズと違ってデビューアルバムはやや消化不良気味なんです。。。
なので、初期のザ・ビーチボーイズの魅力がたっぷり詰まったアルバムとしては「Shut Down Vol.2」(シャット・ダウン Vol.2)をおすすめしておきます。
爽快感・疾走感抜群のロックンロール「Fun,Fun,Fun」で体をドライヴさせた後は、超美メロ「Don’t Worry Baby」にウットリするなど、楽曲の質が高いのなんの。
ビートルズだけじゃないんか。。。60年代ってスゲェ…
と愕然とした記憶があります。そう、
60年代って音楽が輝いてるんですよね~!!
ビートルズとビーチボーイズの関係
1960年代の洋楽シーンに詳しい人なら知っていると思いますが、ビートルズとビーチボーイズは互いに良きライバルであり、良き友でもありました。(ポールとブライアンは同い年で誕生日は2日しか違わない。しかも同じベーシスト。)
ビーチボーイズのマイク・ラヴは、ビートルズと一緒にインド旅行に行った際、ポール・マッカートニーからビーチボーイズ風コーラスの「Back in the U.S.S.R」を聞かされたり、と互いに影響しあっていました。
アメリカで最も人気のあるバンドであるビーチボーイズに、イギリスから殴り込みをかけたのがビートルズだった、というわけです。
1960年代当時「イングリッシュ・インヴェイジョン」と呼ばれ、ビートルズを初めイギリスのロック・ポップミュージックがアメリカの音楽シーンを席巻しました。
ビーチボーイズはそういったUKロック・ポップに真っ向勝負を挑み、最後まで抵抗し続けたアメリカンバンドの代表格です。
そんななかでも特に、ロックの概念を打ち破るアコースティックな雰囲気満載のビートルズのアルバム「ラバーソウル(アメリカ盤)」には、ブライアンはかなり打ちのめされました。
ビートルズ旋風に危機感を感じたブライアン・ウィルソンは、打倒ビートルズのために最高のアルバムを作ることを決意します。
そして完成したのが名盤として名高い「ペットサウンズ(Pet Sounds)」です。(50周年記念デラックス・エディション、またはSTEREO&MONO+1がおすすめです。)
ですが・・・満を持して発表した「ペットサウンズ」は当時、レコード会社からは評価されませんでした。
サーフィン・ホットロッド等の今までのビーチボーイズの音楽とあまりに違いすぎていたため、当時は受け入れられなかったのです。
(とは言え、それは本国アメリカでのことで、ビートルズのお膝元イギリスではチャート2位まで上昇し、イギリスでの人気を決定づけました。)
落胆したブライアンは、ドラッグの影響もあり精神崩壊へ追い込まれていくことになります。
ですがビートルズはアルバムの本質をミュージシャンとして正しく理解していました。
ポール・マッカートニーは、ビーチボーイズのメンバー:ブルース・ジョンストンから初めてペットサウンズを聴かされた際、一言も発さず聴きこみ「もう一度再生して」とリクエストしました。
そして収録曲「God Only Knows(神のみぞ知る)」に対し、「歴史上最高の曲」と最大級の賛辞を贈りました。
またビートルズの名盤「サージェントペパーズ…」はビーチボーイズの「ペットサウンズ」に対抗して作られたとも言われていますし、ポールも名言しています。
ちなみに現在「ペットサウンズ」は世界中で再評価がすすみ、最も偉大なアルバムの一つに数えられています。
このような60年代音楽史だけでも非常にダイナミックでストーリー性がありますよね。
でもいかんせん、後追い世代の僕らとしては「ザ・ビーチボーイズ」っていう、いかにも海辺でだけ聴かれそうなバンド名だけで敬遠してしまいがち。
実に・・・実に勿体ないです。。。だから、まだ記事は続きます。
名盤?幻のアルバム「SMiLE(スマイル)」
ビートルズのアルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」で更に打ちのめされたブライアンは徐々に精神を病んでいき、「ペットサウンズ」の次に用意していたアルバム「スマイル」の製作を放棄してしまいます。
ブライアンは「ペットサウンズ」と同時進行して製作していたシングル「Good Vibration(グッド・ヴァイヴレーション)」(全米No.1)のサウンドコラージュと呼ばれる趣向をアルバム「スマイル」で表現しようと創作意欲に燃えていました。
幻のアルバムと呼ばれるものはいくつかありますが、ビートルズの「Get Back(ゲット・バック)」と並んで最も有名な幻のアルバムがザ・ビーチボーイズの「SMiLE(スマイル)」です。
すでに当時アルバムカバーまで公表されており、発売は間違いないはずだったのですが、ブライアンの精神崩壊もあり「SMiLE」はお蔵入りしてしまいました。
※その後、ブライアンは単独で「SMiLE」を復活させ、ビーチボーイズ版も製作され日の目を見ることになりました。
余談ですが、ビーチボーイズは「世界一、未発表曲が多いバンド」(アル・ジャーディン談)らしいです。
そして「未発表曲」にも当たりがあるのがビーチボーイズの特徴でもあります。
アルコールやドラッグに溺れたボロボロのブライアンが「スマイル」を放棄し、代わりにメンバーと何とか作り上げたのは「スマイリースマイル」という似ても似つかぬアルバムでした。
正直ファン以外にはあまりオススメできませんので、スルーしてほしいです。
メンバーのカール・ウィルソンいわく「僕たちはホームランを期待されているところにバントをしたんだ」ってことで、バント程度のアルバムですから。
唯一、ブライアンが渾身の力を込めて完成させた「Good Vibration(グッド・ヴァイヴレーション)」が、アルバム中際立って完成度が高く、シングルとして全米No.1に輝いているのと、「Heroes And Villians(英雄と悪漢)」も良い出来ですなんですが・・・他がダメすぎです。
偉大で革新的なNo.1「Good Vibration」がアルバム「スマイリースマイル」に収録されている、というのもビーチボーイズが認知されにくいダメダメなところ。
「スマイリー・スマイル」をいきなり聴いたら、ほとんどの曲がダメじゃん!と思われてしまってもおかしくないほどの出来です。
本来の「SMiLE」(スマイル)が完成していれば、ビートルズの「サージェントペパーズ~」を凌ぐアルバムになっていた、という人もいますが、それは叶わぬ妄想だとしても、残っている断片で製作されたビーチボーイズ版「SMiLE」を聴くといい勝負はしていたと思います。
「スマイリースマイル」の失敗後、そのままビーチボーイズは本国アメリカでは長い低迷期に入ってしまいます。
ベトナム戦争などの背景もあり、サーフィンミュージックのイメージが時代と完全にミスマッチしていたというのも原因の一つでしょう。
アメリカに見放されたビーチボーイズは、イギリス等でセールスが好調だったことを受け、世界中へツアーに出ることとなり、こちらは概ね公表を得ました。
幻のアルバム「スマイル」に収録されるはずだった楽曲たちは、一部が既にメディアで放送されていたこともあり、お蔵入り後も何十年と伝説として語りつがれることになりました。
70年代以降のビーチボーイズ
60年代後半から70年代にかけて、コアなファンやミュージシャンの「スマイル」への関心は途切れることがありませんでした。
中途な仕上がりだった「スマイル」の楽曲を完成させて、アルバムへ少しずつ収録することもありました。
代表的なものは「Surf’s Up(サーフズ・アップ)」です。
「Surf’s Up」はブライアンがピアノで弾き語るシーンが、来たる「スマイル」の宣伝効果も兼ねて放映されていたことや、楽曲の質の高さからアルバム「スマイル」同様、長く熱望されていた曲でした。
その「Surf’s Up」を名に冠したアルバム『Surf’s Up』は、アルバムジャケット同様、今までのビーチボーイズの陽気な楽曲とは一線を画したアルバムにカール・ウィルソンをヴォーカルにして収録されました。
この時期には、ブライアンとメンバー全員で作り上げた名作『Sunflower』(サンフラワー)や、ソフトロックの名盤とされる『Friends』(フレンズ)のような作品もありますが、時代背景もあり、ビーチボーイズは60年代後期から70年代は、それまでのような華々しい活躍はできませんでした。
ちなみに『Sunflower』はチャートインはしなかったものの、現在ではビーチボーイズの名盤の一つと数えられており、『Surf’s Up』と共にこの時期の曲をコンパイルした『Feel Flows』(フィール・フロウズ:サンフラワー&サーフズ・アップ・セッションズ1969-1971)という素晴らしいコンピレーション盤が出ています。
1980年代にはリバイバルブームも手伝い、ザ・ビーチボーイズは、アン・アメリカン・バンドとして再びシーンに受け入れられ「ココモ」(トム・クルーズ主演の映画「カクテル」挿入歌)という久々の全米No.1大ヒットも生まれました。
しかし、1983年にはメンバーであるデニス・ウィルソンが泥酔したままヨットから海に飛び込み水死。
そして、ビーチボーイズの精神的支柱だったカール・ウィルソンが1998年にガンで死去とグループには悲劇が続きます。実質的にグループは崩壊状態でした。
そんななか2000年代になって、なんとブライアン・ウィルソンが病からほぼ完全回復し、ソロアーティストとして「スマイル」を完成させるという奇跡が起こったのです。
ファンが喚起したのは言うまでもありません。
ですが、当時の断片を寄せ集め記憶をたどりながら完成させたため、当時完成させようとしていた「SMiLE」(スマイル)と全く同じ、では残念ながらありません。
ヴォーカルもビーチボーイズではなく、ブライアン主体です。
ですが、もう陽の目を見ることがないと思っていたアルバムだけに、世界中の注目を集め、内容については称賛されました。
ブライアン・ウィルソンの「スマイル」のライヴには、共同製作者であるヴァン・ダイク・パークスはじめポール・マッカートニーほか著名人、有名人が大挙押し寄せ、共作者ヴァン・ダイク・パークスが涙を見せていたのはとても印象的なシーンでした。
このスマイルの製作については感動のドキュメンタリーDVDがあります。感動的なので興味のある方は見てみてはどうでしょうか?
現存メンバー集結!奇跡の50周年ライヴツアー
ブライアンは何度か復活・隠居を繰り返しますが、90年代後半から本格的に復活し積極的に活動を行っています。
そして段階的に回復していき「スマイル」の製作に行きついたわけですが、ブライアンは「なぜビーチボーイズとして活動しなかったのか?」。
実は、ビーチボーイズという看板はメンバー間の確執で、現在マイク・ラヴとブルース・ジョンストンが中心となって活動しているグループに与えられています。
そんなこともあって、ブライアン・ウィルソンはソロで活動していたわけです。
なんですが!
2012年にビーチボーイズ50周年を記念して、久々に現在生存しているコアメンバー(ブライアン・ウィルソン、マイク・ラヴ、アル・ジャーディン、デイヴィッド・マークス、ブルース・ジョンストン)が集結し、奇跡的にビーチボーイズ名義のアルバム「神の創りしラジオ(That’s Why God Made The Radio)」の製作とライヴコンサートツアーが行われました。
アルバム「That’s Why God Made The Radio」は好意的に迎え入れられヒットを記録しています。
ライヴコンサートも大盛況のうちに幕を閉じました。
「永遠の夏2012~50周年記念ツアー」もヒット曲満載で素晴らしいライヴアルバムとなっています。
かつてブライアン・ウィルソンが出していた綺麗な高音のファルセットは、今は亡きジェフリー・フォスケットが担当しています。
残念ながらこのライヴツアー後、またしてもビーチボーイズは今まで通り、別々に活動することになってしまいました。
60周年時には、また同じようにビーチボーイズのメンバーが集結することを切に願いたいですね。
まとめ
ザ・ビートルズの次はザ・ビーチボーイズを聴いてほしい。
私から言わせれば、今からビーチボーイズを聴けるなんて羨ましすぎます!!
だからもう一度言います。
次に聴くべきは「ザ・ビーチボーイズ」である!!
60年代ビートルズと対峙したアメリカンバンドの代表格「ザ・ビーチボーイズ」のサーフィン・ホットロッドだけじゃない魅力をぜひ堪能してほしいと思います。
またビーチボーイズのエバーグリーンな曲が気に入られた方なら、ブライアン・ウィルソンのソロ時代のアルバムもきっと気に入られると思いますよ。
ぜひ聴いてみてくださいね。
ビーチボーイズの活動は長く、とてもブログの一つの記事だけでは収まらない内容になりますので、次回はザ・ビーチボーイズの絶対に聴いてほしい(聴いて損なし)のアルバムをご紹介していきます。
では、毎日の忙しさにもゆとりと豊かさを!